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『ハレノヒ』振り返り、これは私の備忘録でもある。 (水, 10 4月 2024)

 Plant M No.21『ハレノヒ』は、 4月3日初日、4月6日に無事に千穐楽を迎えることができました。   本番が終わってから、あわあわオロオロバタバタしておりました。 次のあわあわオロオロバタバタする前に、 『ハレノヒ』の振り返りを。   振り返れば、とっても長くなります。 瞽女さんのことを調べ始めたのはもうだいぶ前でした。 とにかく本を読もうと積み上げて。 なるほどなるほど、と「瞽女さん」という職業がどんなものなのか、 朧げにであるけれど掴めるような気がしてきて。 だけど、私はなんとも言えない気持ちになる。 ふむむむむ…… なんだろうか、この気持ちの置き所の悪さ。   と、思っていたら、下重暁子さんの、小林ハルさんの「鋼の女」という本と、 萱森直子さんの「さずきもんたちの唄」という本に出会う。 この本たちによって、私の気持ちの置き所の悪さが消えた。 そしてふと気づく。   気持ちの置き所の悪さを感じたのは、著者が男の人ばかりだった。 ここでジェンダーなんとかを言う気は全くございません。 社会の理解や平等、人権はどんな人もみななんにも差はないし、あっちゃいけない。   けれど、肉体の違いは確実にあると私は感じている。   私は自分のセクシュアリティがまぁ見事に複雑怪奇なのと、 まだ未知数部分が自分で解明できていないから、 ピッタリくる言葉が見つけられずなかなか説明しづらい。 けれど身体的認識は「XX」であることには相違ない、 とこの年になってようやっと認識できたので、 誤解を恐れずに言えば、瞽女さんの本を私は「XX」という肉体で読んだ。 だからなんだかどうにも気持ちの置き所の悪さを覚えたのだ。 気持ちってものは、肉体にくっついていると感じるから。   理性は、べつっこ。 もうここらへんは文字で簡素に書くと色々と誤解を招かざるを得ないので次に話を展開する。 生きているなら、私の肉体を、私は絶対に置き去りにできない。 そうして読むと、瞽女さんと農家の嫁を、 どうにも分けて考えることができなくなってしまったのだ。  さてどうするか。 もう本を読むことで私が考えられることは行き着いたように思えた。 うむ。 新潟に行くか……   そんな話を物書きやライター、編集者の友人たちとご飯を食べている時にふとこぼす。 「そのことについて、興味あるわ」と、あっという間に取材旅の工程が組まれていた。   フリーライターという人たちはすごいと圧倒される。 その取材力の高さにも圧倒された。 とても有り難かった。 私一人だったら、フラフラしていただけのような気がする。 入る店、入る店で、瞽女さんのことを店の人に聞く。 瞽女ミュージアムで館長さんにガンガン取材。 信濃川の川縁を、ずぅっと目を閉じて歩いてみた。  ハルさんが晩年過ごしたという旅館に泊まり、 取材のことなどを話しながら夕食を食べていた時、 私の中で、何かが崩壊した。 人間的感覚で考えようとすると、GOODとBADがすぐに入り込んでくる。 ご飯を噛み締めながら、 この料理も「美味しい」と「美味しくない」をGOODとBADにしている自分に気づく。 テーブルにある花も、綺麗ならGOOD、枯れているならBAD。 テーブルクロスも。 友人たちの会話も。  にこやかに接してくれた中居さんも。 私がお箸を使っていることも。 今、目でこの世界を見て、耳でこの世界を聞いていることも。 ふと窓の外を見る。 太陽が沈んでブルーグレーに染まった空と木々。 あれはGOODかBADか。 それを判断している自分が外の景色のブルーグレーに溶けた瞬間。 崩壊した。 GOODもBADも消えた。 自分も消えた。 食べている料理の味も消えた。 消えるというか、境界が消えた、という方がピッタリくるのかもしれない。 置き去りにしてはならない肉体の境目が、分からなくなった。 あの瞬間、私は死んだのかもしれない。 瞬間のことを、そのまんまの状態を、全然言葉にできない。 だから、きっと、読んでくださっている皆さんは、   なんのこっちゃ、なんだと思う。 これは私の備忘録としての振り返りだ。 あの何もかもが消えた瞬間を、戯曲として言葉にしたときに「晴れ晴れ」となった。 「ハレノヒ」になった。   初めて戯曲を読んだ時に圭永子さんが、   「私(が演じるにあったって)に、晴れ晴れという言葉を書くんですね」   と言わはった。  GOODとBADを超えて、と私は答えた。   どうしたってGOODとBADであらゆることは整備されている。 そうじゃないと成り立たないこともある。 もしかしたら超えた先に、超GOODと超BADがあるだけかもしれない。 もしかしたら、あの瞬間が永遠に続くだけかもしれない。   振り返って、今。 わかった。 あの一瞬。 あの瞬間。 あれが永遠に続いたら、GOODとBADもないけれど、無だ。 なんと。 生きている彩りがGOODとBADかと、今気づく。 ああ、またひっくり返った。 振り出しに戻った感じ。 生きるって面白い。   だったらと思う。   あの瞬間を土台に、GOODとBADもないと理性で理解した上で、 彩りの GOODとBADを知ろうと思える。   最後の最後で、本当にわけがわからなくなった方、読んでもらったのにごめんなさい。   だけどひぐはこの道のりに、とってもとっても本当に満足です。  ありがとうありがとうありがとう。 『ハレノヒ』を観に来てくださった皆さま、 スタッフの皆さま、 お手伝いくださった皆さま、 圭永子さん、高津宮さん、とってもとってもありがとうございました  
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